エンパイアの支配人


松山の道後に近いところに「パレス」という店があった。岡山には大きなキャバレー「ファンタジア」という店があった。その店には一流歌手も来ていた。新聞の夕刊には毎日広告も出し、宣伝カーは町を走っていた。その当時、鹿児島に「エンパイア」という鹿児島を代表する店があった。


鹿屋にいっとき寝起きしていた同世代の船長は、「にしきのあきら」とエンパイヤでいっしょに下働きをしていた事を自慢そうに話していた。


天文館に店が、いつものことのようにオープンした。

会社の同僚と開店したその店に行った。

開店の挨拶はエンパイヤの支配人だった。

「私も森進一、にしきのあきらを世に出した人間で・・・・・。」
そう、この人は有名人なのだ。鹿児島のキャバレー支配人が芸能誌に載っていたのだ。
既に森進一は大歌手になっていた。(森進一と僕は同じ年)
にしきのあきらは「空に太陽がある限り」を歌っていた。

この二人がなんらかの形でエンパイヤに係わっていただけの話であったが、歌手になるには「エンパイヤ」からという雰囲気を売りにしていた。

キャバレーエンパイアは規模が大きいため、独立して店を出す人も次次で。
きっと、この支配人はそのオープンの度に「私が森進一、にしきのあきらを世に出した・・・。」という話をしていたのだろう。

それから後、二人に続く歌手は出現していない。多分とうに店は店変えをしているだろう。


2002年6月2日