松山に来た姉


姉ひろ子は、父方にとっても、母方にとっても始めての孫だった。子沢山の時代ではあったが、そういう事や性格もからみ”ひろちゃん、ひろちゃん”と親戚。また周囲からも愛されていた。


この頃、姉は結婚後2年ほどたち、子供はいなかった。
この年の春、兄は就職し、・・・・学資がいるのは僕だけになり。両親の気になることは「ひろこに、子さえ出きればのぅ。」というため息だけであった。


流産した姉は医師から「兄弟がいるなら、もらい子を。」と、子供が出来ない宣言をされ、松山にやってきた。

当時広島に住んでいた(呉だったかも?)。


姉といっしょに松山の大街道を歩き、道後温泉にある国家公務員の保養所に二人で一夜寝泊りした。





姉はその後、長女を出産した。二子は無理であったろうことは察せられた。本人は・・いくらかあきらめかけた・・・『母親に成れただけで』十分以上の満足感であった。

2001年5月6日