この年(1969)は’70年安保を前に大学紛争が頂点に達した。
作者は松山商科大学3年で年代としてはその中心にいた。
子供の仕送りにはどの親も苦心していいたはずだが「学生運動はしていない。マージャンをしているから安心を。」という現実と、まだ豊かな生活というほどではない時代に親はどのように感じていたのだろうか?
親もようけい送りょうりゃあせんのじゃ。
ようよろ生活しながら送りょうたんじゃ。
じゃけい、子供もむちゃなことをしとりゃぁせん。
送って貰ようて子供もできるもんか、そわんなことを。
だが現実に(まわりの学生よりも)貧しい学生もヘルメットを被り運動しているのもいたが?
そわんなのは他のところから金がじょうたんじゃ。じゃけいしょうたんじゃ。
その事はわからない。
だが就職に不利とかの理由ではなくて、大学生が反体制の運動をする事に僕には理解できない面があった。当時も今も。大学へ進学できる、そのことが既に体制内で可能であったのだから。
2002年9月15日