今,跡形も無いが新林池の向かいに自動車教習所があった。
(兄の話)
安いので其処に行った。2〜3万くらいじゃったろうか。
教習は自動車学校と同じでボロ車に生徒ひとり、先生一人で教習を受けた。
2〜3週間通った頃、「もう、本試験を受けてもいいだろう」といわれ、笠岡の今市民会館の教習所がある所まで試験を受けに行った。
その時は落ちて,二度目に合格した。
最初の時は制限40キロのところで、40キロが出なかったのが落ちた原因じゃったのがわかっていた。
自分は若かったので、(当時20歳くらい)「受けに行け」といわれるのが早かったが、ほとんどの人がもっと通っていた。
(ペーパー試験は何処で ?) 多分笠岡で受けた。岡山まで行った記憶はないようだ。
(仮免許は ?) 仮免許は当時無かった。路上を走った記憶は無い・・・と思うが、違うかもしれん。
作者は昭和42年に四国の松山で免許を取った。立花自動車学校。学校と教習所の違いは、学校はそこで実施試験が受けられる事。それを売り物にしていた。当時松山にも教習所はあった。川原みたいなとこに。
受けに行く事とか、そういう事はいいかげんに決めていたようだった。
2001年3月11日