僕は泣いちっち


昭和37年国体が岡山で開催された。

笠岡では西中体育館がレスリングが国体会場になった。
(その当時体育館がある小・中・高校は西中と金浦中のみだった。プールのある学校はもちろんゼロ)

笠岡のちいさな町は高松の宮か誰かしら宮さまが来て門前町の土道は舗装道になった。
僕はその時金浦中二年生で、学校行事で西中まで全員見に行った。

ところで西中の体育館は落成式と国体開催の祝いを兼ねて人気歌手の守屋浩を呼んだ。

姉の友達のひさよさんは守屋浩のファンだった。
ひさよさんはパンを配達するお兄さんまでが「守屋浩に似ている。」というほどのファンだった。
姉とひさよさんはいっしょに守屋浩ショーを見に行った。・・・ような気がする。


僕の恋人、東京へいちっち。いやな噂をふりまいて。なんでなんでなんで、どうしてどうして東京がそんなにいいんだろ。僕は泣いっち、横向いてないちっち。

寂しい夜はイヤだよ。僕も行こう、あの娘の住んでる東京へ。





2000年11月15日


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