今思えば確かに人数は多かった。
60人弱の生徒が一つの教室にいた。校舎は木造、窓枠も木のガラス戸だった。それは市内のどこの小中高とも同じ。
城見小学校の同級生は60人ちょっとで、6年間30人二クラスの生活だった。
金浦中学校は一挙倍増の60人弱のクラス。
「これが中学校だ」と思ってもいたので当時何も感じなかったが、今想えば確かに多かった。
地図帳、音楽の本などを机に立てれば教壇の教師からは死角になっていた。
それは笠岡高校も同じだった。笠岡高校は一クラス55人の7クラスあった。
2002年3月12日