昭和35年・城見小学校の修学旅行 作者記2002年9月28日
大門駅→広島駅→比治山→平和公園→宮島→岩国(米軍基地・錦帯橋)→(呉線経由)→大門駅
その朝は真っ暗なうちに起きて6年生だけで学校に行った。
学校で点呼した後、歩いて大門駅に出発した。
県境の池があるあたりで明るくなってきた。
いかにも「修学旅行へ行く」という仰々しい感じが湧く歩みだった。
大門駅では便所へ行ったりして時間をすごし、汽車に乗った。
福山駅より西は、ほぼ全員はじめての鉄道であった。
広島に着き、バスに乗って比治山に上った。そこで持ってきた弁当を食べた。
比治山では何も見るものも感動もない、ただ山に登ったというだけだった。
原爆資料館に行った。
これは衝撃だった。
11〜12歳の僕たちにとって、焼ただれた人形を前に「ピカドン」とはこういうものだったのかと、一種の震えで見た。
宮島の旅館に着いた。木造の3階建て。
姉や兄も修学旅行で見た大鳥居を見て、やっと自分も見れたか、と小学最上級を感じた。
宮島の夜。
先生が何回も(寝ションベンをしないように)起しにきたのを覚えている。
翌日はバスで岩国の米軍基地へ行った。
芝生の家が基地内にありアメリカの雰囲気が(当時はテレビもない)目の当たりに新鮮だった。
錦帯端に行き、歩いて橋を渡った。
そこで昼食だった。付近でみやげ屋の前をあるく。
バスで岩国か?広島?まで行き、呉線経由で大門駅へ向かう。呉線はトンネルが連なりこれが人気だった。(今思うとなんでわざわざ呉線で)だが先生は「トンネルがあるから、こっちにした。」と言っていた、確かに城見小の生徒にはこれが楽しかった。
大門駅からは直接歩いても茂平に帰ったのか、それとも城見小まで全員行き、そこから帰ったのか記憶にない。多分城見小から帰ったのだろう。
土産代というかこずかいは150円だった、とほうもない初めてのお金だったが何に使ったのかは既に記憶にない。
2002年9月28日