分解写真でもう一度
相撲人気は頂点に達していた。城見地区のテレビ第一号は学校の下にある理髪店だった。 そこは学校帰りにいつも窓ガラスから覗いていた。 その時間どのテレビ局も相撲を中継していた。 相撲の後で「分解写真」がもう一度流れた。それは今で言うビデヲテーピでの再現の変わりだった。 学校での遊び時間ももちろん相撲。 勝負不明・同時。「分解写真でもう一度」で、わざわざ思い出しながら、もう一番。
ラジオの相撲はいつも聞いていた。 志村正順アナウンサーの相撲放送は、雑音混じりのラジオの音でも耳を必死に傾けて聞いていた。 どうしても遊びに出たい時でも「若乃花」の相撲が終わってから出ていた。
若乃花が引退したのは僕が中学2年になった頃。そのほぼ同時、我家にもやっとテレビがはいった。 若乃花の相撲はだから家のTVで見たことはない。
相撲の遊でいつもズボンのバンドをとおすところが切れていた。それはどの少年もいっしょだった。 母が直しても「上手投げ」「下手投げ」。その一番ですでに切れてしまっていた。
2002年3月17日
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