60年安保B 当時の学生は? 東京の学生


M氏は広島生まれで、当時は中央大学法学部3年生。

作者が社会人として新人の時、たいへんお世話になった方。
二十数年ぶりに広島そごうでお会いし、食事をした。
その際、
「60年安保」の様子をお聞きした。2006年7月8日 のこと。


あの時は、そりゃあすごかった。

7〜8割の学生が参加しようた。


デモで死んだ東大の女子の時、・・・・かんばさん言う。
あの時には頂点になっとった。


自分は興味がなかった。
ほんとに少数派じゃった。

デモに参加する人は、
「アメリカが占領している沖縄は還らんが、ソ連が占領している北のほうはすぐ還る。」ゆうてようた。

けど、実際はまったく逆になっとる。


本気で、信念で、参加しとった人もいた。
けど、
大部分7・8割がたはいかにゃあいけん、と、つられていきょうた。











大阪と違い、政治の中枢の東京の学生は国会をとりかこみ参加している。

当時の学生は清く貧しい時代。
女子大生はまだ珍しい時代。

学生はエリートの時代であるが、当時の政治思想の貧困は今が証明している。
終戦の反動思想が頂点の時に重なった「60年安保」だったように思う。

参加した学生の就職活動にはどのように影響したのだろうか?
そのことを聞くのは後で気が付いた。



2006年7月11日