背をわれて映画を見に行く 番屋の隣りの小学校には月に一度以上映画がきていた。 上映の3日ほど前に映画のポスターが青木・農協・吉本に貼られていた。 その日は番屋の隣りから拡声器で流行歌を流していた。 祖父は「映画」とは言わず、いつも「活動」と呼んでいた。 学校の入口には良やんが座り、村人たちの入場風景を見ていた。 良やんは僕が行くと背中におんぶしてくれた。 それは「幼児」であり、「タダ」であった。 良やんの「善意」と、幼児をとおに過ぎた僕が背をわれることの恥かしさと。 そういうことが何回か続いた。 |
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画面からは雨がざーざー 茂平のような田舎に来る映画は相当使い古したフィルムで。 画面からは雨がざーざー降っていた。 雨だけではない。必ずフィルムが切れていた。一度ならず。 誰も何もいわない。当然の事でもあり、ションベン時間でもあった。 切れたフィルムは翌日拾いに行く楽しみもあった。 そのフィルムをみて映画とはコマが連続していることを知った。 |
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チャンバラ以外は面白くもなく 映画はチャンバラと現代劇の二本立てであった。 現代劇はまったく、完璧に面白くないものであった。 |
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しまいにはおんぶで帰る 面白くもない現代劇を、起きた状態で最後まで見ることはなかった。 いつも父か祖父に背をわれて家に帰っていた。 |
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2002年1月27日日