五右衛門風呂はアチチッチ


当時の風呂は、焚き口が家の外側か。家の内、クドのほとりに在るか。それだけの違いで、どこの家も五右衛門風呂であった。
風呂に関する子供の手伝いと言えば多く。付け火に使う松葉集め。果物の老木をクべ木、その薪割。風呂への水入れ。風呂焚き。炬燵の火入れ。追い炊き。などであった。


父は「カラスの行水」ともいえる、早風呂であった。

家族は7人いたが、風呂に入る順番は特になかった。が、只、母が入るのは決まっていて最後であった。

夏の風呂はそれほどでもないが、冬の風呂は温まるまで入る。当然、長風呂になる。いつの間にか湯はぬるくなってくる。

「ぬりんじゃー」「焚いてくれー」窓を開けておらぶ。

早い時間は子供が追い炊きをする。遅い時間はすべて母の仕事であった。



風呂の隣りにはもうひとつ水槽があり、それは熱い時に水をいれ、いいかがんにする為である。

風呂は鉄でできていたため背中が当たると”アチッ”
子供は大人と入るので狭く、よけい当たる”あちっ”



2002年1月29日


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