ひろちゃん 中学卒業年は昭和34年春 |
→その5年の間に | えいちゃん 中学卒業年は昭和39年春 |
男が進学するのは盈進。 千鳥(笠岡高校),商業(笠岡商工高校)、淳和。金浦中からの男が行く私立高といえば盈進。 盈進は商業関係なんで(盈進商業高だった)、他には(商業以外の人は)さんこう(山陽高)、興譲館もいた。 (今の近大付属=電波はまだ開校してない) 女の子は焼の星もいた。増川、門田。 付属(広大福山)には二人、くろだ君とくらさ君が行った。 誠之館には女の子も男の子も行ったのがいる。 隣りのともちゃんは焼の星、きよちゃんは誠之館。(ともちゃんもきよちゃんも女性) 優秀な子は無理してでも・・この場合の無理の意味は・・住民票を変えて(福山市民として)誠之館を受験していた。 (岡山へは?)ノートルダムの清心に行ったのがいた。 大学へはいった時「お〜〜、あれあれ」とビックリした、中学で隣りに座っていた子が高校からそのまま進学してきていた。 (就実・山陽女子は?)いなかったと思う。 |
盈進商は盈進となり。 高等専門学校ができ(明石)、更には津山に開校した。 福山電波高校が開校。 笠岡商工高校は分離して、新たに笠岡工高が開校。 門田高は男女共学から女子高へ。 |
たったの5年、この間の変化はすごかった。 難易度からいえばひろちゃんの時@笠商の商業 づっと落ちてA笠商の工業 B笠高普通化 途中@笠工A笠商B笠高を経て えいちゃんの時の実感は県立3高はほぼ同じだった。 やがて@笠高の時代にはいっていった。 |
2002年1月31日 追記・2002年3月20日