城見小学校の完全給食

(これは作者の話)
城見小学校が完全給食になったのは小学校四年生だったと思う。

それまではアルミの食器に粉末牛乳が配布されてた・・ように思う。

城見小学校の生徒は団塊の世代が上級生になり教室が余りだした。それで教室を壊して調理室を作った。
生徒はちょうりの燃量の薪を定期的に持参していた。


(岡山県史より)
1947年1月から連合軍の供出により岡山・倉敷・津山の3市内の小学校では給食を開始するようになった。
脱脂粉乳による週3回の給食が行われた。

1954年の6月学校給食法が成立し、学校給食の実施体系が法的に整った。
この法律により学校給食の目標、経費の負担、国の補助などが明文化されて国の方針が確立された。これを機にして給食実施校も増加していき、今日の学校給食の隆盛の基となったのである。


2000年11月7日