映画を見に

 

昭和32〜33年頃の夏休み、賀山のおばあちゃんの家は鶏の声で目が覚める。

といいたいがそれより前におばあちゃんと娘たち(つまり私の母とその姉、その他)

の会話は早朝から始まっていた。

隣の本家とは、家族同様(年2回ほどいく私にとっても)の生活であった。

本家のおばさんは軍人の主人が戦死して、子供3人との4人家族であった。

軍人の妻の雰囲気がある…3人の子を必死で育てていた…ひとであった。

庭には夏の花や草が咲き育ちしていた。

本家の子供3人は女・男・男でおばあちゃんの家にいくたびに遊んでくれた。

牛の芝刈り・山の池での泳ぎ…当時は普通でもあったこの慣習みたいなものも、今では想像できない。

 

その、本家のおばさん・おばあちゃん・母・おばさん(母の姉)・私…その他にもいたのだろうが忘れた…たちは夏の夜、映画を見に七日市にいくことになった。

その前年は、月形龍之介の「水戸黄門」を見た。今年は わくわくしながら賀山から山道を降りていった。そしてついに日吉橋をわたり七日市に着いた。…が、映画館が…・

????…休館。

そしてまた真っ暗な細い道を登って帰った。子供心に情けない残念な想い出である。

 

99/6/14