あれは楽しみじゃった。 お母さんが賀山に行く時、えんえんと・・・乗りょうた。 ちょっと行けばすぐ止り(駅が多く)、窓の外を見ていた。それがまた楽しみでねぇ。 今考えればあんなにグルグル遠回りをして。(ぐるっと新山・北川を回る路線のため、確かに遠かった。) それから七日市で降りて、今度は興譲館の隣りをとおり歩いて山を上っていた。 追分で押して。どうやって押しょうたかのまで覚えてない。長かった。 |
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高校の頃は”くじば”で皆んな降りて、そこから(笠高・笠商へ)通ようた。
(追分を上りきって下りになると大井療養所が大きく見えていた。)
井原駅
汽車といえば山陽線大門駅から乗るのが、汽車だった。 だが、笠岡駅から乗り換えて乗る”井笠”はちいさくて、しかも座席が向かい合わせであった。 |
2002・1・3