苫無しから茂平の水門までの堤防工事は八百万円で行った。
工事作業者は主に茂平・用の江などからであった。
高丸からトロッコを使用して、堤防の内側を補強する工事であった。
目的は台風・高潮などで茂平の堤防が決壊の心配が常にあったから。
ポンプ場も併せて新しくした。
山本が議長しょうた時、ワシとまあさんで段取りした。
今でも記念碑があろう。(今も残る記念碑は→の写真)
堤防は村のモンじゃあない。官地の土地じゃ。1000万円で国の助成をうけてした。
あの時分で1000万円ゆうたら大けい。何億じゃ。
2000・8・27