遺族年金


遺族への補償は何も死んだから、もらえるんではない。

病気・怪我(負傷)でももらえる。
等級に分かれとった。

等級により、チィとばあからあった。

兵隊に行っとったゆうだけでは一銭ももらえん。


2000・8・27


遺族会は昭和40年頃まで、自民党の強力な支持(指示?)・圧力団体で集票力を持っていた。
戦死者の親への年金、遺児への手当てが主であった。
遺児への手当てを、旧知の福山市のDさん(61歳)に聞いてみた。2001年5月22日 のこと


「親父は昭和20年六月にフィリピンで死んだ。

遺族年金は子供に対し20の時まで支給されていた。働いていても学生をしていても同じ。二十歳がキリだった。
僕は昭和40年頃まで貰っていたが・・・支給方法が年四回くらいだったのではっきりとは分からないが・・・給料の額とそんなに変わらなかった。

母親は昭和25年に亡くなった。母への手当てはなかったと思う。(当時は日本政府に遺族に対する意思も金もなかった)

叔父、叔母が何かと助けてはくれたが(祖父は既になく)おばあちゃん子として育った。

二十歳を過ぎてからは、(次男だったので)いっさい遺族会との関りはないが、あるとき兄貴から「国のフィリピン墓参へいかれないので、変わりに行ってくれ」と言われ行った。
費用は国が半分ほど出してくれていた。
フィリピンに行くと戦後そのまま現地に住み着いた旧・軍人の日本人が説明してくれた。日本語を話して。

(戦死した父の墓を守る)兄貴には墓のモリ料として今でも四万円/年くらい出ているようだ。自分の場合は靖国神社、護国神社などへの参拝などの呼びかけもないし、二十歳後はなにも無い。」

2001年5月22日