新林池の前に隔離所があった。戦前からあった。
終戦後伝染病がはやり、隔離していた。
当時うちでも伝染病で利三郎お爺さんが死んだ。
(利三郎おじいさんは、作者にとって曾じいさんだが死因が伝染病とはいえ91歳の天寿であった)
当時結核は早島であった。(大井にもあったんだけど
そっちには??)
隔離所は新林がもりをしていた。
要らんようになって、市に合併した頃、市に移管した。
2000・1・9
城見村の施設としてあった隔離所はウチでもおばあちゃんが一時はいっていた。
赤痢や疫痢になった人は普通家で看病していたが隔離するよううるさく指導され、連れて行くようになった。
軍隊にいるとき家に(一時)帰宅する場合”家に伝染病のひとはいない”ことを確認してからでないと帰れなかった。
施設はいつも人が隔離されているというのでなく、多い年、また季節により(冬はいない)変わっていた。
看護婦・・といっても見習いにけのはえた程度の・・・もその際は常駐していて医者は適時にきて帰っていた。
2000年10月08日