資料「戦後初の衆議院議員選挙」岡山県史


戦後初の衆議院議員選挙が、1946年(昭和21年)4月10日に執行された。

19422年(昭和17年)4月30日に、いわゆる翼賛選挙が行われてから、ちょうど4年目であった。

今回の選挙では、大選挙区制限連記制が採用された。

岡山県は定員10人、2名連記制であった。


この選挙では以後には全く例を見ないほどの多数の立候補家たち、全国では5.97倍の競争率となった。
岡山県でも47人が立候補した。

婦人参政をはじめとする諸制度の改革や、この選挙の直前に始まった公職追放など、旧来の政治秩序が大きく変わりつつある状況を反映していたといえよう。

このことは岡山県の立候補者のうち、前・元議員がわずかに4人であった、ことにも表れており、新人候補者の乱立というを様相が見られた。
ただし、前・元議員は全員当選をはたしており、政治秩序の変動にもかかわらず、地盤の強さを感じさせるものがあった。

また、前年の11月から12月にかけて結成された各政党の勢力拡張は充分ではなく、立候補者・当選者の中で無所属立候補者が多いのも、この選挙の特色であった。

全国では、無所属立候補者27.9%、当選者17.4%であった。岡山県ではそれよりもさらに多く。無所属立候補地がが18人、38%。3人が当選している。

婦人参政の下での最初の選挙ではあったが、婦人の立候補者は全国で97人(3.5%)。岡山県では近藤鶴代1人だけであった。しかし、このただ1人の候補者が当選し、岡山県選出の最初の婦人代議士が誕生したのであった。


2001年9月15日