茂平にも買出しに来ていた。
(親類とかツテでなく)来る人はぜんぜん知らん人じゃった。
物物交換でもってくるのは衣類がほとんどであった。
こっちは、米麦、芋、なんば、なんきんなどを渡していた。
それは話し合いで交換するものは決めていた。(来たひとはそうやって次次に家を回っていた。)
米はこっちの分も無いので渡す事は無かった。
芋が主であった。
衣類は貴重品で手に入りにくいので助かった。
(長女)ひろこには着せるものが無かったんで、助かった。
長いこと軍隊からもって帰ったものを着ていたくらいだから。
それと金浦から「うたせ」のひとが来ていた。
これは夜捕った魚をもってきて、やっぱり米麦などと交換していた。
ようすなからくる来る「うたせ」は顔なじみにもなっていた。
それは2〜3年くらいつづいていただろうか、次第に交換はお金とするようになり、そして買出し者は消えていった。
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