買出し者の話 もって来る物は衣類がほとんど、こっちからは芋が多かった。そういう物物交換のワンパターン



茂平にも買出しに来ていた。

(親類とかツテでなく)来る人はぜんぜん知らん人じゃった。


物物交換でもってくるのは衣類がほとんどであった。

こっちは、米麦、芋、なんば、なんきんなどを渡していた。

それは話し合いで交換するものは決めていた。(来たひとはそうやって次次に家を回っていた。)

米はこっちの分も無いので渡す事は無かった。
芋が主であった。

衣類は貴重品で手に入りにくいので助かった。
(長女)ひろこには着せるものが無かったんで、助かった。
長いこと軍隊からもって帰ったものを着ていたくらいだから。

それと金浦から「うたせ」のひとが来ていた。
これは夜捕った魚をもってきて、やっぱり米麦などと交換していた。

ようすなからくる来る「うたせ」は顔なじみにもなっていた。



それは2〜3年くらいつづいていただろうか、次第に交換はお金とするようになり、そして買出し者は消えていった。



うたせ



岡山駅付近の買出し風景



2000年08月20日