自殺した大宣の


戦争が終わり、海軍兵学校出の少尉が大宣の自宅で割腹自殺した。


軍刀で腹を切って死んだ。



(作者記・介錯人無しの切腹が、昭和に、ここ城見で、あった。という事には驚く。)2000・1・16






自分で独りで割腹で死んだんじゃ。元気がええ。オヤジはくっさんゆうて村会議員をしょうた。しっかりしたオヤジじゃった。

あそこの子は皆エエ子ばぁ、できとった。


2000・12・17


(母の話)

陸軍の士官学校より海軍のほうがいたしく格が上であった。



子供が二人いて(長女の)ひろこと同級生のせいちゃんゆうこと、二つ上にお姉さんがおった。

ひろこが「じゅんならん」子が大宣にる、ようたが、その子が自殺した人の子で2歳上にもう一人いた。
(城見)小学校に教育熱心なおかあさんがいた。学校には必ず来る、きれいな人でもあった。何処の人じゃろうかと思うとったら”せいちゃん”のお母さんじゃった。

”せいちゃん”は・・・・ホレ、あの頃、中学浪人して、・・・・・金光学園にいって、中央大学に行った。

お母さんは・・・(最近)・・・亡くなった。死んだ。



2000・1・16