100歳まで生きるには


作者の祖父は生前、笠岡市民広報で市内7番目、男性2番目の長寿であったが亡くなった。


食べ物をよくかんで、(たべものは)なんでもよく嫌いがなかった。

「ありゃあいらんけぃ。」いう事はいっさいなかった。

ゆっくりたびょうた。ありょお習えばええ思ようたが、オバアが早ぅ食びょうた。(で、自分も早く)

ばあちゃんは早くたびょうて、死んでしもうた。

兵隊の時にゃ、早く食わんとぶち殴らりょうた。
こねん兵にちゃんとついでやる、とりにいってやる、もってもどってやる、ちゃわんについでやる、配ってやる。それで、こねん兵より早く食わにやいけん
すんだら洗うてやらにゃいけん。こねん兵はすわっているだけ。
ぼちちくうたらなぐられるだけ。

初年兵の時にゃ、自分も若いしそりゃあなんのこともなかった。くせがついてしもうて。
ぼちぼち食べてもええときがあっても、早くくうくせがついてしもうた。


百姓が適当な運動になっとったし。無茶に(むきになるほど)百姓をしてなかった。


体質にもよる。
ワシも体質が強いから生きとる。同級生はみな死んでしもうとる。
親が長生きしたので、そのツルじゃ。親が早く死んだトコは息子もだいたい早く死んどる。どことも。
祖先が長生きしたらその系統は長生きする。



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2002年9月23日