祭りの当番の家は


当番は家になっていたが、個人の負担が多すぎる事と時代により家の当番はなくなった。

本当番と副当番を決める。死んだり、その他の理由で、せんひともいた。
当番の家は事情により大きな家に変わってもらっていた。

が、なかには○○さんのように、家を借さん人もいた。

ええようにゆうて逃げる人もいた。

そういうこともあって銅山西の寄り合い所を作ることになった。


つくる場所もエエのを言うて逃げるひともいて、しょうがなおて責任もあって、ウチの場所をつかうことにいした。
家の設計もこっちがした。


銅山西23軒がつかう、集会所だ。

常会、寄り合い、講に使う。




2000・1・1(2001年1月28日 )

平成1年     平成