枇杷のお茶 (母の話)


茂平に行くと父と母と兄が、、切った枇杷の枝を軽トラに積んでいた。
ビワの木は僕が小学生の頃、裏庭に4〜5本大木があり、その根元にはふきが繁っていた。
今はその二世ともいえる木が二本ほど植えて成木になっている。

軽トラでビワの枝を畑に捨てに行って、帰って来た母の話。


捨てに行っていたら、後ろから車が畑まで付いてきた。
車から降りてきた人は「それを分けてくれ」と言った。

話を聞くと、福山の(元)”そごう”の近くで食堂をしている、という。

昔からビワの葉っぱは、お茶にして飲むいう事を聞いていたが、今日は偶然その人が、見つけて後を付けてきたらしい。
どこかの朝市からの帰りの人じゃったようで、そのお礼にと買いたての白菜をといったが「家で白菜を作っているから」と(白菜がみえる場所)いったら、それではシイタケをという。
百円の値札が着いたままのシイタケじゃったが、ありがたくいただいた。


葉っぱはおさむ(長男)もちぎって、「前の週ならもっとようけいあったのに」と言うたが、あいての車のうしろはいっぱいになって帰っていった。

焼くのは枝だけになった。


2001年2月25日