この時代、裁縫ができることが嫁入りの資格のごとく言われた。
布は織るものでなくなり、購入して縫うものになった。
また大正から昭和始めには和服で入学し、洋服で卒業した人たちが多い。
男子生徒が先に洋服になり、着物(和服)に袴の女子生徒もだんだんと洋服に変わっていった。
食事は麦を米に3分、五分(はんぱくめし・半麦飯)、7分入れたもので、米だけの飯は特別な日(ハレの機会、祭り、葬式その他)でもなければ、普段は食べられないのが普通であった。
子供の弁当などには、ヘリ飯とか縁飯(ふち)といって、麦の中へ米を固めて入れた。
裸麦(大麦もあり)の丸麦は固いので、一度前もって煮て、米にいれて焚いた。(よまし麦などという)
おかずは保存食の野菜の漬物、梅干などが多かった。
2001年10月23日