興譲館の山下先生と息子

西江原小学校の男子の進路は中学校の場合は興譲館が主じゃったが、それでも私立じゃけいいけんというウチがあり、そういう場合は県立の矢掛に行っとった。

同級生で一番できの良かったのは岡山一中にいった。できたばかりの二中に次のはいった。三番目のは誠之館にいった。




興譲館に山下先生がいた。
「としきさん」という子が神戸から帰ってきて、けっこうで頭もえかった。
先生の息子はデキガ良く先生は息子を一中に行かそうとした。が、

興譲館に山下先生という館長がいて「自分のウチのを来させんで、どうしてよその子に来てくれてと言わりょうか!」
「興譲館からでも六高へ行かせる。」

と孫を興譲館に入れさせた。


その子は六高に入った。その子は可愛そうに結核で死んだ。

偉人伝

2001年1月2日