大江にいた頃(県の技士)輪番制で阿部山に指導に行った。
小田郡の百姓の先生じゃったけぃ。
指導は交替で行っとった。来るほうも計画表をみて「今日は何処のがくる。」いうのがわかっていた。
自転車で山の中腹まで行き(里庄側から)、そこからは歩いてあがった。
指導するといっても手伝いをしたり人の割り振りをしていただけだ。
人数はその時々にもよるが50人から100人くらいであったろうか。
指導員も順番であったが、作業者も順番で同じところから2日つづけて来るというのは無かった。
作業者は学生の場合、近辺の中学・実業・商業の高学年であった。
それと近辺の青年団が交替でかりだされていた。
女性はいなかった。
山頂を平らにする作業で鍬で掘る。石を転がす。
その後には芋を植えていた。麦も。一番簡単だから。
2000・6・11 |