茂平塩田は、はかなくも
茂平の塩田は2〜3年間であっただろうか ? あったのだ。
苫無(とまんし)のうしろ○○さんのぶどう畑のへんに小規模であるが戦争中の物資不足の時あった。
作者の小さい頃(昭和30年頃には)いわゆる「揚げ浜式塩田」のなごり風景がまだあった。
出来た塩は売りょうたいう話は聞いた。 砂の上に潮を撒いて、それをよして、それから焚きょうた。 潮は(内海でなく)外海のを使ようた。
2002年6月23日