「津の下に飛行場ができる」ことになり


大津野村の牛の首の塩田跡地に「航空局水上機乗員養成所」が建設されることになった。


津の下の塩田も小規模であった。

海軍の飛行場はできたのだが、練習機の赤とんぼが4〜5機いただけだ。

この飛行場は飛行機を隠す場所が無いのがけってんであった。