山陽新聞社から発行されている「岡山県戦後の50年」という、分厚い報道写真集の本がある。
この本に「茂平」が登場するのは一ヶ所だけ。それは昭和30年の茂平婦人消防隊の訓練である。
どうして、茂平にだけ婦人消防隊ができたのだろうか?
それはのう、みんな若いのは戦争へ行って消防の団員がおらんようになった。少のうなった。
それとのう、あの頃古いポンプがあった。いらんようになったのが、それを婦人消防隊にやった。
古い(手漕ぎの)ポンプ車で始めた。
それだけの理由では弱い。何処の村も町も似たような状態だったが? 茂平に火事が特別多かったのか?
茂平に火事が多いんじゃあない。
用之江や大宣には山に囲まれ坂があるし、イザという時(応援の消防が)来るのが遅い。
茂平は山に囲まれ、まとまっとった。「おい」言えばみんな集まりょうた。村の人間が、すぐ集まるまとまりがあったんじゃ。
男がそうじゃけい、女もそうじゃった。
おじいちゃんが兵隊から帰って、こっちへ帰っとる時にこしらえた。ださあの親父が消防の親分をしとる時じゃった。
それにしても現在までよく続いた?!
今は流行で他所にも婦人のができとるが、格好だけじゃ。
婦人消防隊の出動は?
山火事にゃぁ行かんけど、家の火事のときにゃ行って水をだしょうた。
2002年6月2日