茂平からは誰も行っていない。 多分城見からもいなかった。 百姓の次男坊・三男坊にいったらどうかといことじゃった。 満州に行けば広い土地があるのでそっちへいったらどうか。という、とおりいっぺんの募集をしただけ。(城見では) が山に囲まれた大島では募集をするほうも本気で、結局(現・笠岡市では)大島からは何人かが行った。 1999・12・3 |
国策として「満州移民団」が各県に割り当てられた。 岡山県には昭和12年〜昭和16年の5年間に1670戸の募集計画が作られた。 |
満州開拓団として出発する大島村開拓団員。 72戸、210人が満州に分村を開いた。 (昭和17年) |
(小学校では生徒に勧めているが?との問いに)
「家族ぐるみで満州へ行けぃ」いうことじゃった。子供じゃあない。
大島は山ばっかりで、満州に行けば土地がいっぱいある。ゆうことで宣伝。進め方で、県の方針じゃった。
茂平からは聞かん。
2000・8・27