「名誉の戦死」


戦死者とひとくくりしても。弾に当たって死ぬ人以外に、病死もあれば、他に無駄死としかいえない人もいただろうが。
発表・報告はどのようにされたのだろうか?


軍隊には小隊があり、中隊があり。
中隊長が処理しとる。人事は中隊が持っとる。

小隊で死んでも、処理するのは中隊で処理する。
中隊長が「〇中隊の××(名前)が何、何の戦闘で戦死した。」と書いて送る。

駐隊しとる時なんか、オナゴを探しによう行くんじゃ。その時にゴツンとやられて死ぬんじゃ。
やっちもねいが夜になって、一人で行くんじゃ。女を探しょうる途中にやられて死ぬる。
駐留しとる時にゃ、年寄り(古年兵)が戻ってこないんで探しに行くと、よう、そうしょうた。

そしたら「討伐戦(当日、現地での討伐戦があったことを勝手に作り)で戦いの途中に死んだ。」と、嘘を書いて送る。


戦病死の人は?


弾に当たって死んだら「戦死」、病気で死んだら「戦病死」いうて書いて送っとったが。「戦病死」の場合は・・・。

死んだ後・・・「〇〇作戦中機関銃で戦い、作戦途上で病気になり・・」と作成しとった。


おじいちゃんも、よう生きとったもんじゃ。
何回も、もういけんいう時があった。
敵がぼっこう入ってきて「もう、高田さんしめいじゃ。」いう時もあった。そしたら、向こうが逃げて行って助かったこともある。
こっちは「おえん」思ようても、向こうが勝手に逃げてくれる。向こうもこっちの事がわからん。


敗戦濃い昭和19・20年頃は制海・制空権を奪われ輸送中での戦死者が多いが、その場合の「名誉の戦死の報告」はどうだったんだろうか?


それは、ようわからん。向こうに着いた先の人が考えて処理しとったんじゃろう。


(遺品は残らないが)なんか中へ入れとったんじゃろう。




    

2002年10月14日