支邦の道路作り

中国で日本は悪いことをしていただけではない。

悪い事だけで中国におれるはずは無い。


おじいちゃんたちは道路も作った。


平坦地であるんで10メートル位の道路を、道の左右のドロを掘って盛って、その上をローラーでならすとええ道になった。

そうやって、町から町へのみちをいっぱい作った。

その道は今もつかっているはずだ。

(道は無かったのだ。畑より下に道路があった。雨がふれば河になってとうれん・・道だった)

町からまちへエエ道を作った。日本人が帰ってからもたすかっとるはずじゃ。
現地人には、
きててごをする人は10円、
牛を持ってきてローラーを引っ張るののは20円。とお金を払っていた。

土地代は出してない。


本部がある石家壮の周りは何もない。ただ平坦である。

山のほとりを掘ると石炭はナンボでもででていた。



2000・2

2000年07月12日