1937年(昭和12)7月、北京郊外の櫨溝橋で日中戦争がはじまると、赤柴八重蔵大佐の率いる岡山駐屯の歩兵第十連隊に動員令が下りた。
直ちに予備・後備・補充兵ら約五千人が召集され、八月岡山駅から第一次出勤として、3747人が中国へ出発した。
輸送船で河北省太枯に上陸した部隊は、中国戦線最大の戦闘・徐州会戦や漢口攻略戦に参加。39年(昭和14)十月岡山に帰還したが、二年余にわたる中国北部の転戦で1126人もの戦死者を出した。
赤柴さんは徐州戦後陸士の先生に栄転した。 実地戦をしていないとおしえられない。 |
中西さんは参謀で作戦を決めていた。 |
赤柴さんの後任は毛利さん |
2000年07月10日