第八中隊の全滅その2


父にとって支邦の野戦での「第8中隊の全滅」は、相当衝撃的な出来事であったのだろう。今日、上海の話を聞こうとしたら話し出した。2001年7月14日


8中隊は相手の砦を真っ先に占拠した。
占領して喜んどった。
そこは大別山中の一番高いところで要塞みたいにしとった。

勢い込んで占領した8中隊に、敵は砲をぼんぼんぼん打ち込んできた。
敵は占拠されたんでなく引いとった。

地形も不慣れな8中隊はどうすることもできず、やられっぱなしで死んだ。ほとんど全滅したんじゃ。
敵はそこを知り尽くしていた。大砲を撃ったあとはいんでしもうた。
向こうは信陽の連兵場からそこ(大別山の砦)に向かって撃つのを練習しょうたとこで、そりゃ撃ちゃあ当たらぁのぅ。

作戦にやられたんじゃ。日本人は死んだばぁじゃった。

谷間にいたおじいちゃん達もどうすることもできず攻撃が終わった後で行った。

大勢死んどった。怪我をしたのもいた。怪我をしていない元気なのもいたがヒーヒーしょうた。(周りが廻りだけに意識がしゃんとしてなく)物も言えん。

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戦争はしちゃぁいけん。相手とこっちを殺しあうだけじゃ。

2001年7月14日