2022年7月9日    土曜日       東京都千代田区神田  お玉ヶ池の千葉道場跡   
笠岡    静岡    甲府    新宿    神田(泊) 
  5:46    9:37・9:45    12:05〜16:31    18:04(泊)    18:32
               



中央線秋葉原駅に降りた。

駅通路から大勢の人が見える。

さすがに東京は人が多いな・・・と、よくみると。






選挙演説だ!

しかも、なにかと物議をかもす「NHK党」の党首だ。





ここから見ると、割と大柄な人のようだ。











そう思いつつ秋葉原駅前に行くと、この選挙ポスターの数。すごいな。

岡山県に比べて広島県は多いと思っていたけど、そんな比ではなかった。ビックリ。














秋葉原から神田に向かう。


岩本町ふきん。













秋葉原で降りた目的のひとつは、

途中で”お玉が池”に寄ってみたかったから。



「お玉ヶ池の千葉道場」

といえば、”天保水滸伝”の平手酒造や、

♪剣をとっては日本一の、赤胴鈴之助をまっさきに思いうかぶが、

残念ながら平手酒造は実在の剣士ではあるが、千葉道場とは縁がなく浪曲や講談や流行歌の作り話らしい。


赤胴鈴之助は漫画雑誌「少年画報」の少年剣士。のちにラジオ、テレビ、映画にも。

赤胴鈴之助の友達だった”さゆり”(←吉永小百合のデビュー作)も架空の人。道場に実在したのは、千葉周作先生だけということなる。









「歴史と旅」  昭和55年6月号  秋田書店

剣術隆盛江戸の三大道場
千葉道場


幕末になると身分制度が崩れ、帯刀も武士の特権でなくなっていた。
庶民の中にも帯刀する者があり、武芸を習うという風が生じてきた。
そういう時代の要求によって、剣法道場が増え、
道場は企業として経営され、入門者も本気で剣を習うという機運が昂まってきた。

とくに千葉・桃井・中西の三大道場は評判が高かった。
斎藤弥九郎や男谷精一郎という声もある。
これらのなかでも、江戸最大の道場は、なんといっても千葉周作の北辰一刀流・神田お玉ヶ池の「玄武館」であった。


門人を見ると、
出羽出身の尊攘志士「新徴組」の清河八郎。
桜田門外で井伊大老の首級をあげた有村次郎左衛門。
新選組の山南啓助・藤堂平助、
新選組と分かれた伊東甲子太郎。











「街道をゆく36」 司馬遼太郎  朝日新聞社 1992年発行


於玉ヶ池


於玉ヶ池という池は、江戸初期にはなお存在していたらしい。
周作のころは、於玉ヶ池はほとんど町方の地所だった。
周作は、旗本屋敷の跡を買って道場にしたという。
周作死後も千葉道場の隆盛はおとろえず、門人を収容しきれないほどの大道場になった。

いまは、道場跡も、なにもない。
於玉ヶ池という地名もない。
縦長のビルがひしめき、土一升も営業目的以外には使わないというまちになっている。
ただ、千桜小学校の校庭に立ったときは、かろうじて空が広かった。






千葉道場跡地周辺では、「玄黄二刀流」の稽古道場があった。

剣士たちが動きが、かつての面影を、すこし偲ばせてくれた。















路地の正面に見えるのが、今夜お泊りの「アパホテル神田駅前」。









ホテル名は”神田駅前”店だが、

場所は神田駅前ではない。神田駅と秋葉原駅の中間点店が、実態。

もっといえば、岩本町駅がいちばん近い。









アパホテルは全国に急拡大しているので、えいちゃんも初めてではない。

コンビニのローソンやファミマのように、

どこのアパホテルも、ほぼ同一的な安心感のようなものがある。(別にファンという訳ではないが)





部屋は、とにかくコンパクト。

それでいて、ベッドは結構大きい。

最近は、風呂も円形だが幅が広くくつろげる。




アパホテルのカレーも人気のようだ。

壁に掛けたテレビ画面も大きい。






ぐっすり、眠れました。





上野不忍の池
クラブツーリズム 『出羽三山と秘境・鳥海の絶景3日間』




2022年7月18日