2022年7月11日     月曜日   山形県酒田市南新町  日和山公園                  
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7:40    8:30頃    9:40頃    10:50頃    12:00頃     13:50   14:40     16:10頃   18:00着 
                     



日和山公園の銅像。



松尾芭蕉










荒木彦助






「米穀商荒木彦助は嘉永五年(1852)生まれ。
町会議員、商業会議所会頭をつとめ、築港、河川改修に尽力し大正七年六七歳で没す。
昭和八年有志が建立し戦後再建した。」

(荒木彦助胸像・説明板)






河村瑞賢






「海の交流」    中国地方総合文化センター  2012年発行

西廻り航路と東廻り航路

幕府の年貢米廻送のため、東廻り航路と西廻り航路が開拓された。
東廻り航路
それまでは荒浜(宮城県)から廻船で銚子まで運び、そこから川船に積み換え、利根川をさかのぼって江戸に運んでいた。
そこで瑞賢は房総半島に向かい、相模三崎に立ち寄って西南風を待ち、直接江戸湾に入るという東廻り航路を開いた。

西廻り航路
出羽国の城米を江戸に送るには、津軽海峡を経て太平洋に出、江戸に達するコースが一番近かった。
しかし津軽海峡の通過には危険も多かった。
そこで日本海を南下し、瀬戸内海を経て江戸に達する航路が注目された。
瑞賢は、
最上川の舟運を利用して城米を酒田に運び、そこから廻船に積み換えて海路をとった。
これが西廻り航路で、途中の寄港地に選ばれたのは、
佐渡の小木、能登の福浦、但馬の柴山、石見の温泉津、長門の下関、摂津の大坂、
紀伊の大島、伊勢の方座、志摩の安乗、伊豆の下田である。
そこに番所を設けて手代を配置し、航路安全を図った。
大型廻船は塩飽船が丈夫で最も多く採用された。
船も塩飽水夫も高く評価された。


北前船

最盛期にあった塩飽廻船の繁栄も、18世紀中ごろから陰りが見えてきた。
廻船問屋の発展に伴って、幕府は城米の輸送を江戸の廻船問屋に請け負わせるようになり、塩飽廻船の強みとなっていた直雇の御用船という特権が消滅しはじめた。
こうしたなか、頻繁に瀬戸内海に登場するようになったのが北前船である。






「せとうち産業風土記」  山陽新聞社  昭和52年発行

花形「北前船」


寛文12年(1672)日本海から下関に入り大坂に至る「西回り航路」が開発されると、
尾道、鞆、玉島、下津井、三蟠、牛窓などの各港は一段と活気を帯びて来た。


その年の秋口、瀬戸内海の島々に巨大な白帆を見え隠れさせながら、
千石船の一団が下津井港を目指して船足を速めていた。
「うわーっ、来たぞ」。
岸壁で出迎える港問屋、倉庫業者、はては髪結いから小間物屋まで、
港中が色めき立った。


北海道の松前、小樽を40〜50日前に出発した「北前船」が初めてやってきたのだ。
「瀬戸内海沿岸部は干拓の歴史そのものでもる。
新田には有効な有機肥料が喉から手の出るほど欲しかった」。


北前船が運んできた干鰯、羽ニシン、ニシンしめかすなどが人気を集め、
江戸後期、下津井港では北前問屋が24〜25軒も並んでいたという。
また、高瀬舟の終着港、玉島港では、港問屋が43軒と繁栄をきわめ、
繰綿、実綿、米が売り出され、
干鰯、茶、塩魚、菜種などが買い入れられた。


北前船の出港地は北陸地方で、
帰り荷に当時商品価値の高かった瀬戸内海産の塩を積んで帰った。
北前船は別名「塩廻船」とも言われた。


北前船は一枚帆の「大和型」から、明治に入ると「西洋型帆船」まで登場したが、
日本海が日露戦争の舞台になったのと、
北海道ニシンの不漁、
鉄道の発達などで
明治中期には姿を消してしまった。









海路の歴史

古代の年貢は諸国から都に船で送られたようだ。
このころ、都と大宰府のある北九州を結ぶ瀬戸内海航路は重要であった。

中世には、商業の発達とともに
大型の千石船が瀬戸内海、北陸沿岸を走り、港町も発展する。
また太平洋沿岸の航路も開かれた。

江戸時代には全国的な航路網が整えられ、
江戸と経済の中心であった大坂間には、菱垣廻船、樽廻船と呼ばれた定期便が就航する。

17世紀半ば過ぎ、東北地方の幕領米を江戸・大坂に運ぶため、二つの航路が開拓された。
東廻り・・・東北〜太平洋〜房総〜江戸
西廻り・・・東北〜日本海岸〜下関〜大坂
さらに18世紀後半には蝦夷地の松前までのびた。これは北前船とよばれ、
日本海岸に沿って西下、コンブ・サケなど蝦夷地の特産を大坂に運び、明治中期まで活躍した。


「すぐわかる日本の歴史」  小和田哲男  東京美術  平成12年発行
















日和山公園から出る。



山王くらぶ」は酒田の料亭文化を代表するところ。





酒田市役所”酒田さんぽ”Web

北前船がもたらした上方文化

北前船の往来によってもたらされたのはモノだけではありません。
関西の上方文化も北前船によって酒田に伝えられ根付くことになります。
茶屋では芸妓たちが舞踊や琴などの芸を身に着けることになり、料亭文化の華ひらく都市に生まれ変わっていきます。

酒田を代表する料亭だった山王くらぶ。
今も当時のまま残る組手建具や引き戸など手の込んだ建物の細工に注目!
館内には、日本三大吊るし飾りのひとつである傘福が一年中展示してある傘福の間が。
ここでは傘福の製作体験もできるので一針一針願いを込めて挑戦してみて。(傘福制作体験は要予約)





山居倉庫@朝 A昼 B夜
クラブツーリズム 『出羽三山と秘境・鳥海の絶景3日間』




2022年7月22日