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2022年7月11日 月曜日 山形県酒田市中町 旧鐙屋(きゅうあぶみや) | ||||||||||||||||
酒田発 | ![]() |
丸池 | ![]() |
鉾立展望台 | ![]() |
元滝 | ![]() |
象潟 | ![]() |
矢島 | ![]() |
本荘 | ![]() |
山居倉庫 | ![]() |
酒田(泊) | |
7:40 | 8:30頃 | 9:40頃 | 10:50頃 | 12:00頃 | 13:50 | 14:40 | 16:10頃 | 18:00着 | |||||||||
松尾芭蕉は酒田の町に象潟をはさんで8〜9日、泊まっている。
不玉と近江屋と寺島彦助邸である。
そのうちの「近江屋」跡。
近江屋は当時「酒田36人衆」の大商人。
酒田市役所。
市役所の獅子。
市内のいたるところで二つ並んだ獅子を見た。
そして 旧鐙屋(きゅうあぶみや)まで来てみれば、
工事中だった。
酒田市役所”酒田さんぽ”Web
旧鐙屋
酒田を代表する廻船問屋
今も昔も本間家旧本邸や鐙屋がある通りは「本町通り」と言われ、酒田の中心でした。
本間家とともに酒田三十六人衆のひとりとして酒田の発展につくした豪商 池田惣左衛門(屋号:鐙屋“あぶみや”)。
江戸時代には本町通りに何軒もの廻船問屋が連なっていましたが、その中でも鐙屋は別格。
井原西鶴の『日本永代蔵』に「北の国一番の米の買入、惣左衛門という名をしらざるはなし」と紹介されるほどでした。
※廻船問屋・・・船主のために積荷を集めたり、運んだりして運送取次の役目を果たした会社のこと
西鶴の本に登場する大商人。
「山形県の歴史」山川出版 昭和45年発行
鐙屋(あぶみや)
酒田豪商の一人である鐙屋の繁栄については、
井原西鶴がその著「日本永代蔵」につぎのようにかいている。
『世に船ほど重宝なる物はなし。
酒田の町に鐙屋といへる大問屋住みけるが、
昔はわづかなる人宿せしに、其身才覚にて近年次第に家栄え、
諸国の客を引請け、北の国一番の米の買い入れ、惣佐衛門といふ名をしらざるはなし。
表口30間、裏行65間を家蔵に立つづけ、台所の有様目を覚ましける。
米味噌出し入れの役人云々。』
酒田は、問屋商人の発達と共に、町全体の人口も急激に増加した。
海向寺へ向かう。
町のマンホールも楽しい。
山居倉庫。
北前船。
日和山公園。
海向寺に着いた。
日枝神社〜海向寺
クラブツーリズム 『出羽三山と秘境・鳥海の絶景3日間』
2022年7月22日