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2022年7月10日 日曜日 東京都千代田区神田駿河台 ニコライ堂 | |||||||||||
東京駅 | ![]() |
米沢 | ![]() |
羽黒山(五重塔・三神合祭殿) | ![]() |
酒田(泊) | ||||||
8:56発 | 11:04着 | 14:00〜15:42 | 18:33着 | |||||||||
昌平橋方面へ進む。
昌平橋をわたる。
淡路坂を上る。
総武線の電車が来る。
「聖橋」の南詰。
「聖橋」から「御茶ノ水駅」の間は工事中。
将来、駅も橋も神田川もすっきるする工事。
御茶ノ水駅前から駿河台に向かう。
高層ビルに挟まれ、更に高層ビルが建築中の神田駿河台のニコライ堂。
「大江戸発見散歩」 松本こーせい アーク出版 2002年発行
ニコライ堂
聖橋の向うにニコライ堂のドームが姿をのぞかせている。
聖橋は、
関東大震災復興事業の一環として昭和2年に架けられた。
聖堂とニコライ堂の二つの聖堂を結ぶことから聖橋と命名された。
ニコライ堂のある駿河台は、本郷台地の南端部だ。
御茶の水のランドマークだったが、周りをビルに囲まれてすっかり目立たなくなった。
御茶の水は、
将軍家御用の水になったために、その地名がついた。
神田川は、
空堀だったが、神田上水の余水をこの谷に流して、東京湾から舟を入れる工事を伊達綱宗に命じて神田川が誕生した。
「日本近代建築大全・東日本篇」 米山勇 講談社 2010年発行
日本ハリストス正教会教団復活大聖堂(ニコライ堂)
わが国では珍しいビザンチン洋式の教会堂。
ニコライは文久元年(1861)にロシアから来日。
最初は函館、明治5年に東京に居を移す。
駿河台を布教の拠点と定め、大聖堂を建設することにした。
明治24年に完成。
ところが、関東大震災で大きな被害を受けた。
昭和4年に復旧工事を完了したのが、おおむね現在のニコライ堂の姿である。
初めて、近くでニコライ堂を見ることができた。
このあと、電車に乗って東京駅へ向かった。
東京駅・クラブツーリズム集合
クラブツーリズム 『出羽三山と秘境・鳥海の絶景3日間』
2022年7月21日