2022年4月16日 土曜日 玉野市日比五丁目 | |||||||||
八浜 | ![]() |
深山 | ![]() |
田井 | ![]() |
宇野港 | ![]() |
日比・渋川 | |
8:40〜9:55 | 10:20頃 | 10:40頃 | 11:40〜13:45 | 14:40頃 | |||||
”瀬戸内国際芸術祭2022”宇野会場・オープニングイベント 〜瀬戸内をアートで染めよう〜 |
せっかく玉野に来たから、日比五丁目を歩いてみよう。
日比港に面した備南開発の工場。
日比から向日比を見る。
日比五丁目。
日比五丁目を歩いたいたが、
自分が住んでいた場所がわからなくなった。
わからなくなるほど変わっていた、のかどうか。記憶が戻らなかった。(涙)
日比港は江戸時代から昭和33年3月31日まで栄えた港町。
玉野市史 「ひと潮」
瀬戸内海の、東西のみちひきする潮の分かれ目が、笠岡市の沖合である。
そこで「ひと潮」といわれる周期の約6時間を、日比港を起点として潮流にのって西に航海すると、
満ち潮にのって走ると笠岡の沖合でひき潮に変わる。
そのまま引き潮ににのると広島県大崎の木江港、御手洗港まで一気に走るのである。
潮待に寄港する船は多く、
煙草屋、風呂屋、船具屋、米屋、荒物屋、油屋、塩みそ醤油かの商家をはじめ、茶屋料理屋などの花街も繁盛したのである。
玉野市史 「日和申し」
北前船の船長は、船主であり、荷主であり、商人であった。
したがって金づかいも荒く、町に落ちる金も相当なものであったという。
2〜3日もしけが続くと、日比港の西側の山の丸山という広場で海の静まるのを祈り、
そこで各船対抗の角力や力くらべをやり、芸者を集めて飲めや唄えの大さわぎをやる。
これを「日和申し」といって、日比港の名物であったと伝えられている。
シーボルト 「江戸参府旅行日記」
日比と向日比の住民の裕福な暮らしはひときわ目立っている。
人々はわれわれを珍しげに眺めていた。
彼らから、まだ一度もオランダ人がこの土地を訪れたことはなかったということを聞いた。
海岸でタコを捕る巧妙な漁法を見た。
貝の巣にはいりこんでつかまってしまう。
船は出帆しなければならない。
風と潮流にさからっているので、30隻の引き船を要請する。
日比のエントツだjけは、変わらず町の背後に聳えていた。
玉野市渋川海岸
2022年4月18日