2日前、大井公民館で

「大井文化探訪の会」作成の「大井文化財vlo2」をいただいた。




その中に

「長法寺 原彪氏」の頌徳碑が載っていた。

気になったので行ってみた。





2022年3月8日  火曜日  11:50頃
笠岡市西大戸・長法寺  


長法寺にくると白梅が咲いていた。














境内の梵鐘の前に「顕彰之碑」はあった。












原彪先生顕彰之碑


原彪先生1894年岡山県笠岡市金浦町に生まれる
父は操兵衛 母は得
第一高等学校を経1921年東京帝国大学を卒業
大学院に進み
吉野作造先生に師事する
24年明治大学教授講師
27年法政大学教授に就任
研究教育に尽瘁(じんすい)せられたが
42年社会主義者の故を以って免職となる
安部磯雄先生と共に
日本フェビアン協会
独立労働協会
社会大衆党の設立に当たる
敗戦後1945年
日本社会党の結成に参加 結党宣言文を紀章
衆議院議員当選8回
53年副議長に選ばれまた
日中友好協会の設立に尽力し 副会長に就任
他方憲法擁護国民連合の代表委員として活動した
67年病に仆れたが闘病生活中「社会党に直言す」を発表し 政界を引退す
1975年12月17日命終 享年81歳

先生は青年時代より仏心篤く その生涯は
平和と護憲 廉直なる政治への提言と献身を以って世に聞こえた
遺稿集追悼文集「原彪」は淑子夫人の先生に対する愛に感動したわれらが
心をこめて先生に捧げた鎮魂譜である
茲に先生の遺徳を讃え顕彰の碑を建てる。

門弟一同
永田光風 書



(「大井文化探訪の会」作成の「大井文化財vlo2」)




先生は戦後初の総選挙に出馬。

当選8回、衆院副議長。






先生の学歴は一高・東大。

現在の笠岡市域で六高・東大は探せばいそうだが、一高・東大となるとなかなかいない。


それでいて、先生の認知度や周知度はほとんどゼロ。





それが証拠に、

笠岡市図書館にある「孫たちに語り継ぎたい金浦」、「金浦探訪」、「語り継ぐ金浦」に先生の名はない。



芸術・文化人も政治家も時代によって評価が代わっていくのは当然ではあるが、

衆院副議長という経歴は、事実として永遠に残る。








金浦の郷土史にすら、名のない衆院副議長は信じられないが、

どういう事情があるのだろう?



井手池の枝垂れ梅



2022年3月8日