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2022年11月25日 金曜日 | 府中 | ![]() |
新市 | ![]() |
神辺・千田 | ||||||
福山市新市町戸手 素戔嗚神社 | 9:01〜10:39 | 10:58〜12:24 | 13:08〜13:37 | |||||||||
戸手の素戔嗚神社には杉の大木があったなあ、散っているかもしれないが、行ってみよう。
喧嘩御輿で有名な素戔嗚神社が前に見えた。
境内の中央にあるイチョウの木はほぼ散っている
残っているイチョウもある。
広い境内、
けんか祭の日は屋台や観衆でごったがえす。
髄神門、
神楽殿、拝殿・本殿とまっすぐつづく。
これは「祇園信仰発祥の心象風景」という、宗教アートの作品。駐車場と接している。
駐車場には「縣社」と「式内社」の碑が建つ、
約1〜2km離れた備後一宮「吉備津神社」の他に、この素戔嗚神社も”一宮”を自称している。
宮沢喜一さん書の「慰霊碑」。
素戔嗚神社には二つの城門が残る。
芦田川対岸の相方城(さがたじょう)から移築したと伝わる。
こちらが西の門。
東の門。
(写真↑、左側に見える説明板より転記する)↓
相方城城門
当神社境内には、相方城の城門二棟が伝えられている。
比較的保存状態の良い、東側の門について解説する。
建築年代は十六世紀末から十七世紀初と推定される。
城門の形式は、三間一戸の切妻造りの薬医門で、装飾の少ない簡素な意匠になる。
鏡柱本柱は、城門の定型の五平柱であり、
柱上に冠木を渡す。
後方の控柱は角柱とし、二股の貫で本柱と繋ぐ。
この城門は、高麗門が普及する以前の薬医門であることから、
現存する関ケ原の戦い以前の城門は、当地の二門と島根県益田市にあるのみで、貴重である。
新市町教育委員会
新市商工会青年部
あれが相方城跡。
急峻な山頂に石垣遺構が残ることで知られている。
天別豊姫神社のイチョウ
2022年11月29日