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2022年10月25日 火曜日 高知県安芸市井ノ口甲 「岩崎弥太郎生家」 | |||||||
笠岡IC | ![]() |
モネの庭 | ![]() |
安芸市 | ![]() |
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8:00 | 12:33~13:16 | 13:58~15:15 | 17:15着(泊) | |||||
これが岩崎彌太郎像で、銅像名は「岩崎彌太郎先生」となっている。
”先生”という言葉にちょっと引っかかるが、たいへん立派な銅像。
札幌の羊ケ丘展望台のクラーク博士像のように右手をあげている。
ここでも訪問者は右手をあげて記念写真を撮っているのだろうか?
銅像をこの角度から見ると、
「ようこそ。ここがワシの生家です」と、場所を案内しているようにも見える。
まっしょう面から、しげしげ見ると、
住友財閥の、あの銅像に対向して三菱財閥の威信を示した銅像のようにも思える。
住友財閥のあの銅像とは?
皇居外苑の「楠木正成像」。皇居前の大楠公像よりも巨大で、多少張り合ったのは違いないように感じる。
岩崎彌太郎像
「あき物語」 安芸観光情報センター・安芸市
三菱グループの基礎を築いた異才
慶応3年(1867)、長崎に設立した土佐商会で腕をふるった彌太郎は、
廃藩置県の後に大阪に出、明治6年三菱商会を設立。
以後、明治経済界を席巻する活躍をし「東洋の海上王」と呼ばれるようにもなった。
では駐車場から生家へ行きます。
柿の実が熟れて食べごろ。
岩崎彌太郎生家
「あき物語」 安芸観光情報センター・安芸市
彌太郎の曾祖父・彌治衛門が建てた家で、
当時の中農の標準的な家。
土蔵の鬼瓦には岩崎家の紋であり三菱のマークの原型といわれる「三階菱」がある。
また、庭の石組は少年・彌太郎が天下雄飛を託し、日本列島を模したもおだといわれている。
生家は”中農”の家という説明文になっている。
江戸時代後期の中農の雰囲気や生活の様子は充分感じられた。
広い庭は穀物を干したり、子どもの遊び場で数十年前の田舎のどこにでもある農家。
ただ一つだけ、
当時の土佐藩では、住宅様式だったのかもしれないが・・・瀬戸内地方の農家ではありえない・・・正面の段差板での玄関口には違和感があった。
仁淀川伊野温泉
2022年10月28日