2021年6月20日 日曜日 | 大井 | ![]() |
県主 | ![]() |
寄島 | |||||
浅口市寄島町 「通学船」 | 9:30頃 | 10:30頃 | 10:52〜12:52 | |||||||
これは「通学船」。
今となっては珍しいような感じを受けるが、一昔前までは、日本では人も物も船で移動していた。
島の人は船しか移動の手段が無かったけれど、
陸の人も、道がない、橋がない、から船で移動することが多かった。
えいちゃんの家にも船があった。農作物を船に積んで陸から陸へ移動していた。
寄島町では、沖にある三郎島から寄島西小学校へ通うため通学船があった。
船頭さんを含め”児童専用”というのが珍しい。
どこの親も忙しい、通勤する大人はいない、将来の漁師に役立つなどの理由だろうか。
6年生が船を漕いで、下級生は行儀よく座っている。
(笠岡市の生江浜〜金崎渡船では、いたずら小僧が立ってゆらし、船が横転したことがある)
「寄島風土記」より。
なお、三郎は昭和50年頃陸地化した。海上を歩いての通学がメインのようだ。
寄島干拓により島が陸地と連結したことは、通学船に乗り海を渡って学校に通っていた児童生徒の喜びは格別で、家族の不安も一掃され、
学校側も指導管理の問題が解消された。
冷たい冬の朝、襟巻で顔を包み、潮風に吹かれて1キロに及ぶ干潟をトボトボ歩いて海を渡り、
堤防に辿り着いて上級生が下級生をいたわりながら、しばし焚火を囲んで暖をとり、
隊列を正し学校に急ぐ子供たちを見て、大人は「三郎の子供じゃのー、可哀そうに」と同情の言葉で見送っていた。
潮の都合では朝5時ごろから渡らねばならぬ日もあった。
帰りも干潮時には歩いて渡った。
短い冬の日は昏れが早い。もう島の家には明りがついている。
潮騒に追い立てられ、満ち潮に追いかけられての家路を急いだ子供たちであった。
潮が満ちている時には通学船に乗る。
島の子供全員が10人位乗れる櫓で漕ぐ小舟である。
暴風雨の時は欠航する。
櫓は上級生が漕ぐ。
波風がある時は不安におののき、命がけの通学であった。
その代わり波の穏やかな凪の日は安らぎと楽しさがあった。
揺れる船に身を任せて談笑しながら山々の四季の景色を眺め、空行く雲に夢を乗せる日もあったであろう。
写真左が寄島小学校、右はB&G海洋センター。
この場所は昭和35年頃までは塩田だったはず。
海岸線がどこだったか、たぶんこのあたり、
「ラウンドアバウト」がある付近。
ラウンドアバウト脇に「通学船」像が建っている。
道の反対側には「ガザミ」の像が建つ。
寄島の魚=シャコ、というイメージがあるので、おやっ?と一瞬思うが
たしかにガザミは寄島の名産品だ。
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2021年6月21日