2021年12月24日  金曜日   愛媛県伊予市米湊        
宇和島城    宇和島    八幡浜   保内    八幡浜    伊予市・郡中    松山市駅 
8:40頃    9:55   10:26・10:45    11:10〜13:43    14:08・14:30    15:09〜16:30    16:53(泊) 
                         




大洲市を行く「宇和海」の車窓風景。

肱川と大洲城の眺めが美しい。





(大洲城)







予讃線の大洲〜松山間は、近年観光ポスターで有名になった海と夕日の「下灘駅」を通る予讃線と、「内子駅」を通る予讃線がある。
特急列車は全て「内子駅」の予讃線で、その間は青い海は見えないが、距離は大幅に短距離となっている。


内子線

内子線は、大正9年の建設した軽便が起こりである。
その後、予讃線短絡ルートに組み込まれることになり、
路盤強化や曲線緩和などの工事が行われた。
昭和61年に完成した。


「山陽本線・四国各線」  山と渓谷社  2020年発行










「宇和海」からは伊予市駅で降りた。










JR「伊予市駅」。











JR伊予市駅の駅前。







「手づくり交流市場 町家」は、二つの鉄道駅に挟まっていて伊予市を代表する公共市場のようす。







名の通り「手づくり」感があふれた施設。













赤い電車は伊予鉄道・郡中線の終始発駅「郡中港」駅。













郡中(ぐんちゅう)は大洲藩の港として発展してきた町、

松山市と近接しているが平成合併の時に、松山に合併しなかったのは藩政からの違いがあったから?










伊予港駅を海に向かうと、銅像が教会に建っている。




岡部仁左衛門

黒住教郡中教会所は明治10年現在地に創立された。
境内には岡部仁左衛門像がある
花かつおの創始者岡部仁左衛門は、昭和35年逝去した。
氏の功績を称え黒住教郡中教会所境内に銅像が建立され、
昭和38年5月盛大に除幕式が行われた。

「郡中まち歩き」  伊予市商業協同組合 令和3年













郡中の削り節

大正5年、岡部仁左衛門は郡中港の近隣で削り節を創業。ヤマニ。
大正6年、城戸豊吉は郡中港の近隣で削り節を創業。ヤマキ。
大正7年、明関友市は郡中港の近隣で削り節を創業。マルトモ。


「郡中まち歩き」  伊予市商業協同組合 令和3年












駅から2〜3分で海に出る。前方の松林が五色浜公園。












五色浜公園の手前、神社や施設がある。














神社の鳥居横に胸像がある。





藤谷豊城

第6代郡中町長。
町内各神社を合祀して五色浜神社を造営。
現在の五色浜プールの東側に魚付林の松を植栽した。
碑の文字は秋山好古、撰文は伊予鉄社長井上要。
立像は太平洋戦争中に金属供出された。
昭和48年、現在の胸像を建立。


「郡中まち歩き」  伊予市商業協同組合 令和3年












神社を過ぎると「五色浜」。














浜に沿って灯台が建っている。





萬安港(ばんあんこう)


波止普請は、海難事故防止と産業振興の両面から当地方の人々にとって長年の夢であった。
村方その他の自分によるものを「自普請」と呼んだが、この波止普請は「自普請」で、忽那島から石材を、高ノ川村から材木を購入した。
天保5.6年完成。
築造により郡中は飛躍的に発展を続けた。
又、港内への土砂の堆積を防ぐため堀り積み上げたのが五色浜グランドの粥喰山。
文化9年から昭和29年頃まで140年余に亘り、当地方の発展の源はこの港にあった。


「郡中まち歩き」  伊予市商業協同組合 令和3年








(伊予市HP)

【市指定文化財】萬安港旧灯台<建造物>

高さ622cm、底辺幅235cm、花崗岩の石造の旧灯台である。
五色浜公園の北端、現在の伊予港に面して建っている。
明治2年(1869年)、郡中港の防波堤の修築にあわせて、約70メートルの石垣の先端に、それまで木造であった灯台を石造に改築したものである。
大正元年(1911年)に現在地へ移築された。
明治初期からの近代建築の雰囲気を感じさせる建造物である。









伊予市郡中A郡中町並み
「JR西日本・四国くるりきっぷ」 (2021.12.24)


2021年12月30日