2021年11月4日 木曜日 兵庫県神戸市中央区下山手通 生田神社 | ||||||||||||||||
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JR三ノ宮駅から、神戸を代表する神社「生田神社」に行く。
朱色がきれいな神社の鳥居や門や社殿。
安産にはとくにおかげがあるそうだ。
今日はここが目的で来た、「生田の森」。
東京の明治神宮のような広大な森を、勝手に想像していた。
この「生田の森」の狭さにびっくり。
よくいわれる”三大がっかり名所”的な驚きを感じた。
神社の裏側に、少し木が繁っている。そんなところ。
一の谷合戦は、この付近が激戦地。
一の谷の戦い
京都にあった木曽義仲は、頼朝の弟範頼と義経の率いる大軍の上洛を防いで、近江の粟津で戦死した。
その範頼・義経らの源軍と一の谷に拠る平軍との戦いが一の谷の戦いである。
生田の森は清少納言の「枕草子」に『森は生田の杜』と数えあげられているほど、古来、都人にもその名を知られた歌枕で、
そこに平家の大手の本営がおかれ、平友盛がその大将軍であった。
最も有名なのは熊谷次郎直実に討たれた無官太夫敦盛である。
「兵庫県の歴史」 八木哲浩・石田善人 山川出版社 昭和46年発行
坂落とし
生田の森はすでに源氏の軍勢が攻めこんで源平入り乱れ大戦闘になっていたが、
平家も死物狂いで防ぐため、源氏の旗色は悪くなった。
義経は、鵯越の上から一の谷をはるかに見下ろし「馬を落としてみよう」と何頭か追い落とした。
馬は無事降りきるものもあれば、途中で足を折って死ぬ馬もいる。
「名だたる難所といってもここを鹿は通ると聞く。
鹿の通る道を馬が通れないことがあるものか。
馬は乗り手がうまければ、それほどけがはしまい。
それ、落とせ、義経を手本にしてつづけ」
あまりの危なさに目をとじ、声もしのばせて盲落としに落ちていく。
そのさまは人間わざではなかった。
全員、降りきらぬうちにどっとあげた勝鬨の声は山々にこだまし、十万騎にも聞こえた。
平家は源氏に火を放たれ、黒煙に追われてわれ勝ちに逃げ、渚の船に乗りうつって逃げ去った。
「平家物語」 世界文化社 1976年発行
広い森を歩くから、と少し構えてきたけれど、あっという間に終えてしまった。
三宮Aフラワーロード
「JR西日本関西どこでもきっぷ」(2021.11.4)
2021年11月8日