2021年11月4日 木曜日   兵庫県神戸市須磨区須磨寺町  須磨寺  
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「源平の庭」

敦盛の最後

熊谷次郎直実は、何とかよい大将軍と組みたいものだと、渚の方へ馬を進ませていくと、
練貫に鶴をぬいとった直垂に,萌黄匂いの鎧を着て,鍬形に打った兜の緒をしめ、
黄金づくりの太刀をはき、二十四差した切斑(きりう)の矢を負い、滋藤(しげどう)の弓を持ち、
連銭葦毛(れんせんあしげ)の馬に金覆輪の鞍を置いて乗った武者一騎が、沖のほうの船をめざして、
馬を海へ乗り入れ、三、四十間ばかり泳がせているのが目にはいった。

「それなるは、よき大将とこそ見まいらせる、
みぐるしくも敵に後ろを見せたもうものかな。
お返りなされ、お返りなされ」








その武者が引き返し渚にあがろうとしたところを
熊谷はむんずと組みつき、どうと落ち、
取って押さえて首を掻こうと兜をおしあげてみると、
年は十六、七の若武者で薄化粧をし、歯を染めている。
わが子の小次郎くらいの年の美少年であった。
「どういうお方か、お名乗り下さい。お助けしましょう」という。







さっさと首をとれ」
熊谷はあまりのいとおしさに目もくらんだが、泣く泣く首をかききった。
泣きながら首を包もうとして、鎧直垂を解いてみると、
錦の袋にいれた笛が腰に差してあった。
「東国勢何万騎のうち、軍陣に笛を持ってきている風雅者はよもやあるまい。
さすが平家の公達は風流なものだ」
と思い、義経に笛を見せたところ、涙をしぼらぬ人はなかった。
あとで聞けば、太夫敦盛といい生年十七歳であった。



「平家物語」 世界文化社 1976年発行 









敦盛と熊谷を見つめる地蔵様。











「敦盛塚」(首塚)。















「シベリア慰霊碑」。












「五猿」。







五猿ふきん。












「三重塔」、

右隣の稲荷は「出世稲荷」と縁起がいい名称の稲荷さん。












「八角堂」。












「本堂」と「大師堂」。












「書院」。









境内と近接している「須磨寺公園」。












源平ゆかりの古刹だが、境内の雰囲気が庶民的な感じがするお寺だった。



「鉄人28号」モニュメント
「JR西日本関西どこでもきっぷ」(2021.11.4)



2021年11月8日