2021年11月4日 木曜日 兵庫県神戸市須磨区西須磨 須磨浦公園 | ||||||||||||||||
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子どもの頃に、源義経の「鵯越の逆落とし」の話は面白かった。
今日は、その源平の戦いに関連する場所を、主目的に訪れた。
山陽電鉄・須磨公園駅から、まず「敦盛塚」を目指す。
「平家物語」で有名な、平敦盛のお墓に行く。
駅から、海に沿って約100mくらい歩けば”史跡 敦盛塚”。
正面から見る「敦盛塚」。
この、「敦盛塚」の特徴は、
とにかくでかい!
ほら、一枚の写真に収まり切れない。
神戸市教育委員会の説明板が建っている。
敦盛塚石像五輪塔
この五輪塔は花崗岩製の総高4m近い堂々たるもので、中世の五輪塔としては石清水八幡宮五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で2位の規模を誇る。
法量は総高397cm、2石から成る地輪は幅126cm、高さ98.5cm、水輪は最大径130.4cm、高さ99cmで下部がすぼまり、
火輪は軒幅126.4×119cm、高さ75.8cm(上面に径30cm、深さ20cmの枘穴(ほぞあな))、風・空輪は一石彫成で、風輪の径73cm、高さ56cm、空輪の最大径69cm、高さ79.2cm。
各輪四方にそれぞれ五輪塔四門の梵字を薬研彫り(やけんぼり)に配している。
紀年銘はなく、梵字が大きいことや水輪や火輪の様式にやや古調がみられるが、風・空輪は明らかに近世塔の先駆的様式を示していることから、
室町時代末期から桃山時代にかけての製作と思われる。
この付近は源平一の谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に、当時16歳の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、
それを供養するためにこの塔を建立したという伝承から、”敦盛塚”と呼ばれるようになった。
このほか、鎌倉幕府の執権、北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288)に造立したなどの諸説がある。
昭和60年(1985)4月に、神戸市教育委員会が周辺整備のために発掘調査を行ったところ、
下半部が埋没した地輪の下に、四角に囲った板石とその中に2枚の石から成る基壇遺構があることが分かった。
このため、基壇の上部を地表に現し、地輪部以上を完全に露出するように積み直した。
平成11年3月
「敦盛塚」から須磨浦駅前まで戻り、次は「須磨浦山上公園」に行く。
写真の山が、須磨浦山上公園。
“鵯越”の場所は、いろんな説があり、この山のどこかであるのは違いないようだ。
では「須磨浦山上公園」へ登ります。
まず「敦盛橋」を渡る。
遊歩道は標識が整備され、迷う心配はなし。
色づき始めた歩道周辺。
道は、ひたすら登る。
石段の道。
途中展望所あり。
大阪湾。
明石海峡大橋。
淡路島岩屋の公園と淡路ハイウェイオアシス。
漁船が行く。タコ壷かな。
やっとロープウェイ駅の、すぐ下まで来た。やれやれ。急な坂道だった。
須磨浦公園(鉢伏山)
「JR西日本関西どこでもきっぷ」(2021.11.4)
2021年11月8日