2021年11月30日 火曜日 兵庫県神戸市北区有馬町 有馬温泉 | |||||||
笠岡 | ![]() |
有馬温泉 | ![]() |
新神戸 | ![]() |
笠岡 | |
6:04 | 9:01〜11:13 | 11:37〜13:36 | 15:15 |
「銀の湯」を出ると、曇っていた空が晴れていた。
銀の湯から坂道を下ってると「極楽泉源」があった。
念仏寺の前に「少年法然上人像」。
念仏寺前には「太閤秀吉・北政所館(太閤小城跡)」の標識が建っている。
(Wikipedia)
法然上人
法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。
はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、
承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、
のちに浄土宗の開祖と仰がれた。法然は房号で、諱は源空げんくう、幼名を勢至丸、通称は黒谷上人、吉水上人とも。
浄土宗では、
善導を高祖とし、法然を元祖と崇めている。
浄土真宗では、
法然を七高僧の第七祖とし、法然聖人/法然上人、源空聖人/源空上人と称し、元祖と位置付ける。
親鸞は『正信念仏偈』や『高僧和讃』などにおいて、法然を「本師源空」や「源空聖人」と称し、師事できたことを生涯の喜びとした。
温泉寺の近くに「行基上人像」。
有馬温泉は奈良時代から、行基によって世に知られたそうだ。
(Wikipedia)
行基
行基(天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧。
朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成し、畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説いた。
併せて困窮者の救済や社会事業を指導した。
布施屋9所、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を各地に整備した。
当初、朝廷から度々弾圧や禁圧を受けたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返した。
その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。
この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。
日本地図を作成したとの伝承もある(行基図)。
不動坂を下って行くと、
「御所泉源」。見た目にすごい迫力あり。
郵便ポストは日本全国に数々あれど、観光マップに載るポストとなれば限られる。
この有馬温泉の「湯本坂」にある赤いポストは、有馬観光の重要な目印になっている。
郵便ポストを少し下れば、
やってきました「金の湯」。
混雑することでも有名な「金の湯」、
でもこの時間なら、まさか込み合ってはいないだろう。(平日の午前10:50)
では、有馬温泉”金の湯”にはいります。えいちゃん本日のメイン・イベントです。
入浴客は常時10人ほどいた。
いい湯だったが、銀の湯で温もった身体が、まだいくらかほてっていて長湯はできなかった。
天下の名湯・有馬温泉の「銀の湯」「金の湯」にはいり、いい気分で金の湯を出た。
湯本坂を下ると、太閤通に出る。
「太閤通り」。
ねね橋まで戻った。
太閤橋は歩道部分の工事をしていた。
太閤橋から有馬川(六甲川)の下流側を見れば、河川も工事中だ。公園整備かな?
有馬温泉駅、
次は「布引ハーブ園」に行く。空が晴れたので眺めが楽しみだ。
「布引ハーブ園」@新神戸ロープウェー
ABCD
「JR西日本関西どこでもきっぷ」(2021.11.30)
2021年12月3日