2021年11月27日    土曜日   神辺    千田    福山       
福山市入船町・御船町・笠岡町・宝町・伏見町                      11:10頃    11:30頃    11:58〜14:39       
               



ポートプラザから、福山城に向かって、お城の遺構を訪ねながら行く。

まず、発見したばかりの遺構場所に行こう。



入江



”入江”は瀬戸内海と福山城をつなぐ水路で、明治以降、時折埋立られ、現在は福山市立大学あたりで終点となっている。

今月(2021年11月)道路工事中、”運河の石垣が59m出現”(朝日新聞)と報じられた。






福山市入船町。











この辺りだな、遺構が出てきたのは。

落葉を掃除しているおじさんがいるので聞いてみよう。




「この工事中のところです。

埋戻したので、今はまったく跡形はありません(見えません)」

とのお話だった。







この敷いたばかりのアスファルトのところ。








木綿橋




小学校の3年生だった頃と思うが、漁師をしてた隣のおじさんが船で福山まで連れ行ってくれた。

たぶん港町に係船した。そこから通り町まで歩いて行った。

通り町はにぎやかだったが、その間の静かさ、というか通り町までは、田舎そのものの風景だったのをよく覚えている。





父が実業学校を出て青年団当時、入江はまだ奥まであり、

茂平の果物を船に積んで木綿橋まで来ていた。

橋のたもとにある安い旅館に泊まり、早朝に船から果物を市場に揚げていたそうだ。

その後、父が兵隊にとられている時に、木綿橋は埋立により撤去された。







今は”バス停”と”モニュメント”があるが、

名残りも、遺構も何もない。













天下橋



天下橋は撤去時期がよくわからない。

明治の初めごろだろうか?




モニュメントがあるだけ。











天下橋から宝町西交差点の間に桜が咲いている。









桜の道を行く、「まわローズ」バス。

代金は一律160円。





こちらグリスロの”まちなかモビリティ”、

まだ実験中で代金は無料。







北浜通の桜並木。










築切



福山城は水野勝成が築城当時は、瀬戸内海が堀に続いていたが、

水野家時代の末期(17世紀末頃)に「築切」が築かれ、海とは隔てたお城となった。




ここは宝町西交差点。

この交差点の北側付近に「築切」があった。


したがって、この交差点辺りまでが海(入江)だった。









福山市伏見町。

ここら辺り。











なお、現地説明会の会場で、係員さんに訊ねたが、現地に築切に関する碑等は何もないそうだ。


(正面の一番手前の石垣が”築切”で、海と外堀を区切った)





御水門二重櫓周辺



2021年11月29日